英語長文、点数取れるときもあるんだけど
いつもはなかなかの正答率が取れているんだけど、
同じレベルの問題で急に全然解けなくなる現象にちらほら出会います。
そういえば、良い正答率の問題でも突っ込んで間違い方を探ってみると、
思い込みで読んでしまったため、読み間違えているとかが多かったりします。
(単語から何となく話の筋をイメージしながら読んでいるので正答を選ぶことはできている)
こういう場合はいくら良い正答率を保っていたとしても、
「点数は取れているがたまたまはまっただけ」という可能性があります。
この「たまたまはまる」という表現だが、
それまでにたくさん文章読んだり、頑張って勉強していたりするとかなりその率は上がってしまいます。
(むしろ、小中学校でしっかり勉強してきた人たちにこの傾向が見られます。)
結果、ちゃんと読めてないのにそこそこ点数だけが取れてしまいます。
すなわち、自分で実感が持てないけどなんだか成績だけは取れる人になってしまいます。
そういう人が陥りやすいのが、
「評価を落とさないように振舞う」というどう見られるかという外見にこだわっていくことです。
成績などの数値にこだわってそのために頑張るというのはまだいいのだけども、必ずしもそうならないこともあります。
間違ったり成績を残せなかった場合に、分かったふりや言い訳をしてその場をやり通そうとするケースが多いです。
(先に言ったようにそれまで勉強できてきた人たちが多いので、できない振る舞いをどうしていいか分からないためです)
失敗はうまく使えると成長の機会になるんだけど、
そんな先のことよりも、今目の前の評価が落ちないことだけを大事にしてしまうようになってしまう。
さて、そういう場合はどうすればいいだろうか。
もちろん、当然のことをやっていくだけなのですが、
精神的な部分としては、点数が取れないなどの失敗をしても評価が変わらないこと、それだけではなくそこからうまくできるようになったら評価かはむしろかなり上がるということを繰り返し伝えます(この精神姿勢は本当に大事。早めに身に着けたい)。
学力的な部分では、具体的な論理の展開が読みやすい文章ではなく、詩などの解説など抽象度の高い評論を扱っていくのが良いかと思われます。
筆者の感性や世界観によって論理が展開されるものであれば、
解く側の思い込みで読み進めると、著者の意図からはどんどん乖離していく可能性が高くなります。
そうなると、否が応でも低い正答率が突き付けられてしまうため、そこから「評価は変わっていないことを伝えつつ」ゆっくり確実に読解していくことを求めていけるようになります。
その状態からであれば、自分の純粋な読解力を認識しながら
一つ一つ文章を丁寧にたどって、論を読み解ける成長を感じてもらうのが良いのかなと考えています。
てなことで、目の前の評価にこだわりすぎず、人によって受け止め方が変わりそうな文章で自分の真の実力を把握しつつ前に進めていきましょう。