楽したい>大学入試の勉強 を探る
勉強できる頭も状態も揃っているんだけど、
大学に行きたいという目標も持っているんだけど
勉強には全然手が付かない。
そんな人のことを考えてみる。
できない自分に出会うのが嫌だとかのプライドの問題なのか
解説とか読んでも何書いてるのか分からないなどの問題なのか。
答えは、このままで居たい。その方が楽だから。
楽な道を選んでしまっている。が一番近い感覚の様。
状況の分析
地頭が良くて、言い訳が立つ人は、幼少期に少しのコストで大きなリターンを得ていた人が多い(家庭も恵まれている場合が多い)。そして、コスト1と10のリターンのようなバグ的な報酬に慣れすぎている可能性がある。
そうなると、中には「人生舐めプ」を始めてしまう人が現れます。手っ取り早く取れるリターンだけで、できるだけコストをかけず、それっぽく「やれている人生」を過ごします。
しかし、成長していくにつれていろんな経験を経てリターンは100とか300とかじゃないと満足できない(自分も周りからも)ことになったときに、
- 自分はできる道を歩んできたのでできるだけコスパよく高リターンを目指したい。
- 青年期のリターンは自頭×小手先では得られにくいもので、地道な積み上げが求められる。
- その積み上げとは、世の中の真理(本来コストとリターンはバランスが取れているもの)の通り、300のリターンにはコスト300が必要。
- 今までのコスト低く、リターンの大きいお手軽クエストばかりを達成していたので、高コスト高リターンのクエストはものすごく敷居が高く感じてしまう。
(もっと言うと、高コストを支払えるかどうかだけでも大変=多くの人はそこまでいけないのに、それを乗り越えて支払えたとしても、今までの感覚からするとリターンもコストの割には全然満足できない=やらない方がよかったと感じてしまう)
結果、欲しいリターンと掛けたくないコストの狭間で身動きが取れなくなってしまう。
という感じなのかもしれないし、そもそも大きな壁を感じて越えていく気持ちになれないのかもしれない。
対処法の一例
いずれにしても「低コスト高リターン中毒」の状態なので、
日常生活の中に、高コストノーリターン(低リターン)なことを味わう時間を作りたい。
例えば、1人で毎日地域のごみ拾いを粛々と行う。
それを、だれか1人にお礼を言われるまで続けてみる。
コストはごみ拾いにかけた時間
端的なリターンは「お礼」1つ。
この報酬感をしっかり味わいつつ、
活動してみて良かったことを掘り起こして、もう少し自分にとってのリターンも大事にしてもらえたりすると、
バグった報酬系が少し良い感じになっていくかもしれない。