「できないんだよなぁ」と向き合う塾生との話
塾生とあれこれ話していた「できない自分」とどう向き合うかの概念的な話のまとめ。
(できない自分から抜け出せないメカニズムの一例)
- 自分に自信がなくて、できないと思う
- できないと思うからできない可能性が上がる
- 実際できなかった(私はできない人)
- できないと思うレベル2
- できないと思うからできない率が上がる
- そして再びできなかった(やっぱり私はできない人)
- できないと思うレベル3
- できないと思うから余計にできない
- 何をしても結局できなかった(何度やっても私はできない人)
- できないと思うレベル4
➡できない自分から一生抜け出せないループ
このループを断ち切るために、どこかで「できるかもしれない」意識や、「できた」という実感を差し込む必要がある。
「できるかもしれない」→「できた」によって、強化されている「できないと思うレベル」を下げていく工程がいる。ただし、注意しないといけないことに以下のような点がある。
※留意点1
そもそもこれまでの間に「できないと思うレベル」は高くなっている状態なので、それを下げていくためにある程度「できた」の質と量が必要になる。
※留意点2
年齢に応じて「できたと思えること」の難易度は高まっていく傾向にある。
何かができたとしても「誰でもできるやろこんなこと」と思ってしまいがち。それを自分の「できた」に入れられるかが鍵。(自分の思う「できたレベル」が、要求される「できたレベル」と同じだと思ってしまっている。自分でハードルを上げてしまっている状態)
※留意点3
自分が納得できる「できたレベル」のものを作り上げることはほぼ無理なので、「とりあえずレベル」なものをどんどん出して、ダメ出しされる勇気と覚悟が必要(これはこれで難しい)。
→(自分への慰め方や恥への開き直り方はいろんなバリエーションが用意できていると進みやすい。こういうことこそ情報探してみると良い)
→(「とりあえずレベル」のものを出したときの反応や、ダメ出しの内容は、いわば今後の人間関係の篩にかけるようなもの:嘲笑する人とは距離取るし、搾取的な人は去っていくし、としてとても意味あることとみるのも大事。)
と、いろいろ読んでみて「じゃあやってみるか」となったとして、次に出てくるのが「行動するのが面倒臭いのだが、、」という誰もが行きつく悩みに。ということでまた機会があれば続きを書くかもしれません。(乞うご期待)

